動物たちに感覚や感情はあるの? 「Animal sentience」をめぐる議論
最近になって「animal sentience」という言葉が少しずつ使われるようになってきました。 この言葉は「動物が主体的に感じたり、受容したり、経験から学ぶ能力」というのが一つの定義とされています。
(私が調べた限り、この英語についての一般的な訳語はいまのところないようですので、この記事では「動物の感覚・感情」という表現を用いています。)
昔は人は動物ではないと思われており、また動物たちは人に使われるために存在するのだと信じられていた時代がありました。
しかし時代が進むにつれ、そういった考え方は変わってきました。 現在では動物たちも喜びや悲しみといったシンプルな感情だけでなく、共感や嫉妬、死別の悲しみなどという複雑な感情も持っているということが認識されるようになってきています。
実際、今までも動物たちの感覚・感情を証明する科学的根拠は提示されてきました。すでに3人の科学者たちが2,500ページにわたる研究論文を発表し、人以外の動物にも感覚・感情があるということを結論付けています。
【感覚・感情があることを想定させる数々の実例】
イギリスのBBCが製作したネイチャードキュメンタリー『ブループラネット II』には、クジラの群れをとらえた映像が出てきます。
そこでは、ある1頭のクジラがすでに死んだ子供のクジラを連れて泳ぎつづけ、なかなか離そうとしない様子を観ることができます。 これは明らかに子供を亡くした悲しみを表す弔いの一形態であると見られています。
羊は自分以外の羊たちの顔を見分けることができ、誰が自分の仲間なのかを認識できることが分かっています。 これは2年間離れ離れになっていた仲間に再会したときでも見分けられるほどの能力だそうです。
ゾウは強力な記憶力を持った動物であり、また傷ついたときには泣き出すことも分かっています。 ここでいう「傷つく」というのは、身体についてだけではありません。 感情が傷ついてもやはり同じように泣くのです。
オマキザルは与えられたエサが不平等であるとそれを認識し、またマカク属のサル(ニホンザルなど)は、ジャガイモの洗い方などの独自の文化を確立する習性があります。
チンパンジーは、グループ内でバナナをお互いに分配するときに、不満を持つ仲間がいたらもう一度配り直すということが分かっています。
ネズミは仲間のネズミが水の中で溺れているのを見ると、すでに手に入れたエサをあきらめてでもその仲間を助けにいくことが確認されています。 またくすぐると笑うネズミもいるそうです。
タコはエサの種類を見きわめ、そのエサを取るのに必要とする労力に見合ったエサかどうかを判断することが分かっています。
また「ゾウ」や「羊」という種類での特徴ではなく、個々の動物1頭1頭に、いわゆる "性格の違い" があるという証拠も数多く見出されています。 すでに身の回りにあるもので満足する性格のものもいれば、手元にないものばかりを求める性格の個体もいるという違いも発見されているのです。
【脳の特徴からも感覚や感情の裏付けあり】
こういった動物たちの行動を観察した結果だけが、感覚・感情の証拠というのではありません。 実際に動物たちの脳を調べてみると、人の頭脳と同じような特徴が発見されることから、動物たちにも感覚・感情があるという想定が可能になるのです。
感情は脳の中の「大脳辺縁系」と呼ばれる部分が司ることが分かっています。 人の大脳辺縁系は比較的大きく、これは人がとりわけハッキリした感情を持った動物であることを示しています。
もし他の動物の脳にある大脳辺縁系が人よりも小さいのであれば、その動物の持っている感情は人間よりも弱い、と考えることができるでしょう。
しかし、もし私たちよりも大きい大脳辺縁系を持った動物の場合はどうなるのでしょうか。
理屈で考えれば、私たちよりももっと強くハッキリとした感情を持った動物であることになります。 「自分たちよりも感覚・感情のレベルが高い」ということは、私たちにはどうしても想像することができないことです。
しかし海に暮らす哺乳動物のなかには、この大脳辺縁系が人間の4倍の大きさの種類が存在します。
さらにこれらの海洋動物たちには「紡錘細胞」という細胞の存在も認められています。 これは人の頭脳の中にあり、このおかげで人は複雑な社会環境ですばやい意思決定ができると考えられています。
かつてこの紡錘細胞は人や類人猿の頭脳にしかないと考えれてきました。 しかし、海に暮らす哺乳動物の脳にもあることが発見されたのです。
もしこうした海洋動物たちがこの細胞を使っていないとしたら、すでに進化の過程で退化していた可能性が高いはずです。 そう考えると、海の哺乳動物たちは私たちと同じように社会環境に応じた判断をし続けている、ということが想定できるのです。
このように、動物たちの感覚・感情については現時点でははっきりと分かっていることが多いわけではありません。 むしろ、ある種の状況証拠のようなものから推測・想定しているものがほとんどのようです。
人によっては、推測による可能性にすぎないのなら、動物のことなどを気にする必要などないだろう、と思ってしまう人がいるかもしれません。
しかし、むしろ可能性があるからこそ、想定できる限り動物たちの感覚・感情を尊重してあげることが必要なのだと思います。