【追悼】手話で会話するゴリラ「ココ」(1971~2018) 人と動物との相互理解のきっかけに
6月19日、「手話で話すゴリラ」として知られていた「ココ」が亡くなりました。
すでに多くのメディアでココの死は報じられていますが、ここではその言語習得過程と、ココが生涯かなえることのできなかった願いについてふれておきたいと思います。
【非科学的なナンセンス】
ニシローランドゴリラのココは1971年7月4日に生まれました。
はじめは檻の中で育てられていましたが、ココはそんな生活にあまりなじむことができなかったようで、栄養失調の兆候を見せたこともありました。
ココを担当していたフランシーヌ・パターソン博士は、当時25歳。スタンフォード大学の博士課程で心理学の研究にいそしんでいました。類人猿には手話によるコミュニケーションを学習することができるのか、というのがその研究テーマでした。
しかし彼女の担当教授は、その研究テーマについて懐疑的でした。 そして「今後4年以内に、「食べる」「飲む」「もっと欲しい」の3つの手話をゴリラに教え込むことができたら、君の研究は成功だと認めよう」と提案されました。
1970年代当時、動物が感情を示すとか人の言語を学習するなどという考えは行き過ぎた発想であり、また非科学的なナンセンスであると思われていました。
パターソン博士の研究をあざ笑う動物行動学者たちも多くおり、ゴリラなどという動物にはどんなことを教えても、エサをくれる替わりに人の動きのまね事をする程度だろう、と取り合う人も少なかったのです。
しかし、間もなく、こうした冷笑的な見方が間違っていたことをココは証明しました。
4年どころかわずか数週間のうちに、ココはまず「飲む」を覚え、続いて「食べる」と「もっと欲しい」も覚えたのです。
パターソン博士はこうした観察から、ゴリラが博士の考え出したジェスチャーを使ったり、飼育されているほかのゴリラから学んでいることを見出しました。 さらに、手話であれば類人猿にとっても本能的に使えるだろうと考えたのです。
こうして手話を学び始めたココは、それまで多くの人たちが信じていなかった「類人猿の言語能力」というものを証明し続けました。
ココの使える言葉はまず10個を超え、そのままどんどんと増え続け、最終的には数百語にも及びました。
ココは単に教わったことを「芸」として反復していたわけではありません。 何かあるものを示す言葉を知らないときには、知っている言葉をつなぎ合わせて自分独自の表現でそれを伝えようとしました。
例えばヘアブラシと言いたいときには「引っかくための櫛(くし)」と言い、指輪と言いたいときには「指のブレスレット」と言うなど、独自の言葉を自分で考え出して表現したのです。
また、ココのいる場所でパターソン博士がほかの動物学者と「ココは子供か、青年か」という議論をしていたところ、ココが割って入り「違う、私はゴリラ!」と手話で伝えたことがあったと伝えられています。
こうした様子から、ココは単に自分に必要なものを訴えるだけでなく、自分とは何者かということまで理解していた、と考えられています。
パターソン博士の4年間の研究期間が終了したとき、ココが法的に所属していたサンフランシスコ動物園がココを返還するよう求めてきました。 しかしパターソン博士はその後もココといっしょに暮らしていく決心をし、12,500ドルを動物園側に支払ってココを引き取りました。
【母親願望】
こうしてパターソン博士との生活が始まったココですが、一つだけどうしてもかなえられないことがありました。
それは自分の子供を育てる、ということでした。
9歳の時、プレゼントに何が欲しい?と聞かれたココは、子供を抱く仕草を見せました。
それ以外の時もココは人形を抱いていることが多く、食べ物を与える仕草やいたずらを叱る仕草をするなど、おままごとでお母さん役をするの女の子たちと同じような行動を見せていました。
ある訪問者が自分の子供たちの写真をココに見せると、ココはその写真を手に取って声を出し、写真に写っている子供たちの顔にキスをしたことがあったといいます。
そんなココに、あるときマイケルというオスのゴリラが紹介されました。
しかしココとマイケルは姉弟のような関係になってしまい、パートナーとして子供ができることはありませんでした。
ココは男性の研究者が近づくととても興味を示したようで、明らかに異性愛のゴリラだったと見られています。
子供を育てたいというココの願いを少しでもかなえるために、1985年、パターソン博士は子猫を連れてきました。 「ボール」と名付けられたそのネコを、ココはとても気に入って可愛がりました。
ココがあまりにも近づきすぎるので、ボールのほうが嫌がってココを引っ掻いたり噛んだりすることもありましたが、そうするとココは「悪い猫だ」と言って叱る仕草をしたそうです。
しかしこのボールは6歳の時に交通事故で死亡しました。それを聞かされたココがひどく嘆き悲しんだということはよく知られています。
なお、2000年には前述のゴリラの仲間マイケルも心臓発作で死亡しています。
【今後も続く議論】
結局ココは、死ぬまで肉親を持つことはありませんでした。群れで暮らす習性のあるゴリラとしては、きっとさみしかっただろうと思います。
しかし、ココにはパターソン博士という最大の理解者が生涯寄り添っていました。
今でも動物学者の中には、類人猿に言葉を使う能力があるという説に懐疑的な人たちも少ないないようです。専門家たちによる議論は今後も続けられていくでしょう。
しかし、ココと博士が二人三脚で残してくれたこれらの話を聞く限り、ゴリラは私たちと同じように感じたり考えたりする存在だ、ということは否定できないように思われます。
これがきっかけとなって、動物と人間とが通じ合うために必要な理解がこれからも深まっていくことを望むばかりです。
(Koko the talking gorilla died in her sleep | Daily Mail Online)